1959年/昭和34年〈第79回卒〉
第41回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
まだまだ用具等が不十分な時代で、ユニフォームは2年前の選抜時のお下がりを使用していた。旧チームから投手山崎、一塁松浦主将、内野の高田・小林、右翼手の杉田が残り、捕手北田、中堅手池澤が入りチームが大型化した。打てるチームを目指し打撃練習に時間を多く取り入れた。秋季大会では順調に勝ち進み、3年連続優勝して2年ぶりの選抜大会出場を狙ったが近畿大会で昨年に続き和歌山県勢に負けてしまった。冬は来季の夏の大会優勝を目標に練習に励んだ。
最後の夏を振り返って
最後の夏の選手権大会では、3年生エースが怪我のため登板できず充分なチーム事情ではなかったが、2年生投手の踏ん張りや頑張りもあり、1回戦から大差での勝利で決勝戦まで勝ち上がった。決勝は春季大会で負けている宿敵膳所との対戦であった。膳所には秋季大会決勝で勝利、春季大会準決勝で負け、連敗する屈辱は味わいたくない想いが強く11 - 0と大差で勝利し優勝した。
京滋大会、相手はこれもまた宿敵平安である。湖国としてはなかなかここを突破することが出来ていない。滋賀県民のためにも全身全霊、力を振り絞り真正面からの挑戦であったが、好守・好投・強打の平安の前に大差で屈してしまった。最後に甲子園出場という夢は断たれたが、秋、夏と優勝出来たことは立派であると誇りに思う。最小限八商野球部の歴史の1ページに寄与できたのではないかと考える。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
2回戦 対 長浜西 2 - 1 ○
準決勝 対 膳所 4 - 3 ○
決勝 対 伊香 3 - 2 ○ 優勝
1回戦 対 甲賀 11 - 0 ○
2回戦 対 瀬田工 6 - 0 ○
準決勝 対 膳所 0 - 2 ●
1回戦 対 甲賀 8 - 2 ○
2回戦 対 大津商 10 - 2 ○
準決勝 対 彦根西 17 -1 ○
決勝 対 膳所 11- 0 ○ 優勝
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 県立和歌山商 0 - 6 ●
全国高等学校野球選手権 京滋大会
1回戦 対 平安 1 - 8 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
山田 善信
選手
松浦 三郎 山崎康浩 中村 昭治
北田 昭海 山形 現治 高田 寿一
山元 位佐夫 小林 貞好 辻 修吾
杉田 孝幸
1958年/昭和33年〈第78回卒〉
第40回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
新チームは2年生が投・捕・三・遊・左・中、1年生が一・二・右のメンバー編成であった。2年連続選抜甲子園出場を合言葉に秋季大会に臨んだ。決勝までは順当に勝ち進み、伊香との決勝戦は4 -2と逆転勝ちを収め、昨年に続き連続優勝を成し遂げた。近畿大会では、新聞数紙に優勝候補として取り上げられたにも関わらず、一回戦であえなく敗退してしまった。2年連続選抜出場の夢が断たれた結果となった。第30回選抜大会選考日、近畿地区選外優秀校として第1位となり選抜大会参加賞と同じメダルを貰うことになったが、やはり出場したかった。
最後の夏を振り返って
選手権大会が第40回ということで今年から記念大会が始まった。優勝すれば甲子園に出場出来るチャンスである。投手の中野も投球に磨きがかかり、主将の柴田捕手や浜田・森田の三遊間コンビ円熟味を増し、俊足好打の藤田・北永の外野コンビ、控えの左腕山元投手、打撃好調の土川と選抜大会出場選手が多くを占め、2年生の松浦・杉田・小林・高田・北田・山﨑らが力をつけてきて、チーム力は滋賀県内で一歩抜けていると評価が非常に高かった。
春季大会は決勝で敗れはしたものの、夏の選手権では勿論優勝候補筆頭の評価で大会に臨んだ。1回戦伏兵の甲賀高に対し、エースを温存して戦いに臨んだがそれが裏目にでてしまう。エースを途中から登板させることになってしまったが、時すでに遅く、1 - 5と初戦で完敗してしまった。我々の学年は勝負所での力が発揮出来ないチームで最後の最後で無念さと悔しさと虚しさが残る最終学年であった。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 彦根東 7 - 0 ○
準決勝 対 彦根西 2 -1 ○
決勝 対 伊香 4 - 2 ○
1回戦 対 彦根東 8 - 6 ○
2回戦 対 長浜西 2 - 0 ○
準決勝 対 膳所 7 - 0 ○
決勝 対 伊香 3 - 5 ●
1回戦 対 甲賀 1 - 5 ●
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 和歌山工 0 - 2 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
大町 満弘
選手
柴田 雄 中野 護 山元 光男
浜田 省三 森田 泰弘 北永 勝也
藤田 紀夫 土川 悠紀夫
1957年/昭和32年〈第77回卒〉
第39回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
山本主将がチームをまとめ、県下一の左腕虎若投手を擁す守りのチームであった。秋季大会では1回戦から決勝まで1 - 0の接戦を制し、近畿大会1回戦でも虎若投手が16奪三振と好投し、ベスト4に進出、選抜出場を勝ち取った。選抜大会開会式では山本主将が名誉ある選手宣誓を堂々と行った。この大会、湖国球界で膳所中が昭和9年に選抜初出場してから23年、滋賀県勢悲願の甲子園初勝利を我々のチームが成し遂げたことは誇るべき快挙である。この大会は2勝し、ベスト8に進出する成績を収められた。虎若投手は卒業後日本コロンビアのエースとして長らく都市対抗野球で活躍した。
最後の夏を振り返って
選抜大会から帰ってきた直後、虎若投手が故障で離脱し、春季大会では結果が残せず、夏の選手権大会でも虎若投手抜きで大会に臨むこととなった。1回戦1点差勝利、2回戦延長13回辛勝、準決勝も3年山本、2年中野・山元、1年山崎の継投で勝ち上がり決勝戦は昨年同様、膳所との対戦となった。立上り膳所の拙守と投手の制球難に乗じ、4点を先取、3回からこの夏初登板の虎若投手も病苦をおして登板したが、5回までに着々と得点され終わってみれば4 - 5と逆転負けを喫した。最後の夏に甲子園に出場したかったが、好投手虎若の故障が悔やまれる最後の夏であった。しかし我々の年代は1年夏優勝、2年・3年夏準優勝、そして選抜大会では県勢初勝利、ベスト8進出となる結果も残せ、高校野球を満喫して終えた。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 比叡山 1 - 0 ○
準決勝 対 彦根東 1 - 0 ○
決勝 対 伊香 1 - 1 △
(4回日没引分両校優勝)
1回戦 対 甲賀 3 - 1 ○
2回戦 対 比叡山 0 -1 ●
1回戦 対 八日市 4 - 3 ○
2回戦 対 比叡山 2 - 1 ○
準決勝 対 彦根東 2 - 0 ○
決勝 対 膳所 4 - 5 ●
近畿地区高等学校野球大会
2回戦 対 奈良商工 3 - 0 ○
準決勝 対 明石 0 - 6 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
日永 勝彦
選手
山本 重夫 石川 祐治 澤 光男
今岡 章夫 原田 彰
1956年/昭和31年〈第76回卒〉
第38回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
我々のチームは、旧チームからのレギュラーがごそっと抜けて選手数も少なくチームを編成していて試合に出場するのが精一杯であった。新チームでの県民体育大会は1回戦で日野に負け、秋季大会も彦根西に1回戦敗退。春季大会も1回戦で長浜西に打ち負けた。3年生になると1年生が多数入部してきて何とかチームの形になってきた。我々のチームは1、2年生が多く若いチームであったので彼らに期待するところが多く、卒業時には、選抜大会に選ばれ念願の甲子園出場という夢を果たしてくれた。
最後の夏を振り返って
春季大会1回戦敗退後、1、2年生を交えて毎日毎日猛練習に励み、夏の大会に臨んだ。結果、猛練習の成果もあり公式戦初勝利から勢いを増し、決勝戦進出までこぎつけた。決勝の相手は秋・春と県大会を制し、選抜にも出場している宿敵膳所との戦いであった。しかし勢いはここまでで、大敗を喫してしまい準優勝で最後の夏を終えることとなった。同級生が少ないチームではあったが、猛練習の成果を最後に出せ、後輩に託せた。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 彦根西 4 - 6 ●
1回戦 対 長浜西 8 - 11 ●
1回戦 対 甲賀 7 - 1 ○
2回戦 対 長浜西 6 - 0 ○
準決勝 対 彦根東 0 - 0 ○
決勝 対 膳所 0 - 7 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
上田 秀吉
選手
塩見 弘士 奥村 育三 青木 治彦
青地 繁一 乕若 政美 北森 萬敏
1955年/昭和30年〈第75回卒〉
第37回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
1学年上の先輩方の夏の大会では優勝候補と騒がれながら準決勝で敗退、トーナメントの怖さを痛感しての新チーム発足となる。新チームでは、1年生から活躍してきた増田投手、1番打者としてセンターを守り堅実な打者として同じく1年生から活躍してきた中村浩、2人にとっては八幡中学から6年間チームを同じくして戦ってきた。
また八幡中学からは青木一塁手、小西二塁手も加わり1年下には塩見、上田など地元の選手で固めた強みも見せ秋季大会に臨んだ。地区で勝ち抜いた八商、大津東、愛知、彦根西4チームの争いとなる。われらは決勝まで進むが大津東に一方的な点差で敗れる。冬は雪辱を期して、長距離を走り体力強化に努めた。また東郷捕手が同志社高へ転校するという予想外な出来事もあったが、練習量も増やし、暑さに負けない精神的にも負けない練習を行った。
最後の夏を振り返って
この年より普通科が独立して八幡高校となり、八幡高校から念願の八幡商業高等学校と学校名が変わり出発の年となった。冬の練習も万全に終え、春季大会に臨む。初戦は楽勝。しかし準決勝は長浜西に、エース中村寿投手の絶不調により大敗してしまう。この敗退で試合終了後、彦根球場において私服に着替え約2時間にわたり井狩監督、和田部長から今日の試合における反省の弁が述べられた。内容は①投手は当然好不調がある。不調の時にはどんな投球をするのかを考える。②守備の時間が長いと野手の人も緊張感が切れる。四球は戦意を喪失させる。③こんなことでは夏は期待できない。④練習にもっともっと工夫をすること。以上、長時間にわたり反省会が行われた。
春の大会を大敗したことで、夏の大会はあまり関心がなく気楽に戦える状況であった。エース中村寿も速球に威力を増し、変化球もなんとか相手を交わせる力をつけてきた。打撃陣は中村浩・大橋・塩見・増田・青木と自慢の強力打線が出来上がり目標を甲子園優勝と書き換え出陣した。順当に勝ち上がり、決勝は春に負けている長浜西であったが、完封勝利でリベンジし、最後の夏を優勝で飾ることができた。京津大会は1万人を超える大観衆の前で行われた。序盤から立命館の攻撃がさえ、八商は追う展開となったが最後まで調子が上がらずに敗れ、甲子園優勝の目標どころか甲子園にも出場出来ずに高校野球にピリオドを打つ。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 彦根西 10 - 1 ○
決勝 対 大津東 0 - 5 ●
2回戦 対 彦根西 13- 5 ○
準決勝 対 長浜西 4 - 11 ●
1回戦 対 瀬田工 6 - 1 ○
2回戦 対 大津東 6 - 4 ○
準決勝 対 日野 6 - 2 ○
決勝 対 長浜西 5 - 0 ○ 優勝
全国高等学校野球選手権 京滋大会
1回戦 対 立命館 3 - 7 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
木村 謹之助
選手
中村 浩 中村 寿男 青木 健一郎
小西 輝男 増田 元治 大橋 英夫
竹中慶興
1954年/昭和29年〈第74回卒〉
第36回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
新チームには6名のレギュラーが残り、増田―木下の協力バッテリーも2年目を迎えて益々健在で打撃陣も上位打線が残り、いよいよ夏の甲子園初出場の期待がかかった年代であった。秋季大会はリーグ戦方式で行い、全勝で優勝を飾る。近畿大会では、夏の大会において初めて京都勢を破り、甲子園に出場した八日市高に続けと激しい闘志を燃やし立ち向かった。初戦京都代表山城高、勝てば選抜大会に選ばれる絶好のチャンス。全員が緊張し、固くなっての戦いであったが、1点リードの5回同点に追いつかれて、その後逆転コールドで敗退する悔しい結果となった。
それでも春の選抜大会補欠校として選ばれた。敗退した悔しさを冬の厳しい練習量にかえて、メンバー一丸となりトレーニングに汗を流した。冬を越した我々は、春の選抜優勝校愛知県中京商業や、福井の若狭高、敦賀商業、京都東山高、同志社高、大阪泉陽高など強豪とも練習試合を組み、力負けしないチームへと力をつけた。
最後の夏を振り返って
冬の厳しいトレーニングの成果は春の大会にあらわれた。春季大会は、甲賀、長浜西を連覇し、宿敵大津東に5 - 0と久々に圧勝。優勝を勝ち取った。近畿大会、1回戦は高校ナンバーワンの前岡投手率いる和歌山県代表の新宮高と対戦。前岡投手の緩急つけた投球にヒット3本におさえられ完封負け。完敗した。
夏の大会は、各新聞社が八商強し優勝候補の予想を掲げ、絶対的な大本命で本番に臨む。我々は普段どおりの野球を心掛け堂々と戦う。1回戦は愛知高の好投手を前半で攻略。ヒット15本の猛攻で快勝。準決勝は宿敵大津東との対戦。1 - 0とリードしていたが、後半増田投手は疲れが激しく逆転される。大津東の山本投手の変化球が打てず、主力打者がヒット3本とここ1本が出ずに試合巧者の大津東に残念ながら惜敗する。増田―木下のバッテリーを中心に塩見・田村・中村・増田・木下・大橋と続く打線は超高校級と言われ打ち勝つ試合が多かったが、反面好投手にはもろいところもあった。特にこの年は早稲田大学から手塚コーチを招き、基礎的な部分の練習を多くした。しかし、勝利の女神は微笑まず、悔しい、悔しい惜しい年代であった。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
2回戦 対 大津東 4 - 2 ○
準決勝 対 愛知 4 - 3 ○
決勝 対 長浜西 5 - 2 ○ 優勝
2回戦 対 甲賀 9 - 2 ○
準決勝 対 長浜西 1 - 0 ○
決勝 対 5 - 0 ○ 優勝
2回戦 対 愛知 11 - 3 ○
準決勝 対 大津東 1 - 2 ●
近畿地区高等学校野球大会
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 山城 2 - 9 ●
1回戦 対 新宮 0 - 3 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
大町 満弘
選手
木下 實 青木 康雄 関川 悟
田村 豊明 西幸之助 古川 雅也
矢尾 健一 峠岡 道一 小林 弘
嶋田 守良
1953年/昭和28年〈第73回卒〉
第35回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
秋は寄宿舎の取壊し後の整理やグラウンドの土の入替、部員の減少で練習不足が重なり、秋季大会はブロック予選で敗退と屈辱を味わい、最悪な結果に終わる。夏に向けて冬の練習は体力作りと基本重視し、猛練習に励み、まとまりのあるチームが出来上がった。主将平井清一、三塁井狩克之、左翼塚本光男、細田敏彦は捕手から外野に転向、3年生4名、2年生8名、1年生6名での布陣であった。エース増田は度胸のよい重い速球が武器で変化球もあまり打たれない。リリーフ竹中も力強い投球が持ち味。いずれも経験の浅い1年生である。
最後の夏を振り返って
昭和28年4月1日改修成ったグラウンドにおいて京都の東山高を同校に迎え、28年度の戦いが始まった。春季大会は愛知高に快勝するが、八日市高中村投手の速球が打てずに完敗する。
夏の大会は、同校は全く優勝候補には上がっていなかったが、5月に若原正蔵先輩を彦根球場にお迎えし猛練習を行い、勝つための心構え、強くなるための練習強化等、夏に備えた練習試合も京都勢、大谷・東山・洛陽・堀川とは善戦山城・同社社とは引き分ける結果を残した。そして夏の大会本番を迎える。1回戦はコールド発信。大津東との準決勝は木下捕手の好リードで増田投手が見事な投球で完封。打線も中村・田村・塚本の上位打線が好調で決勝戦進出となる。相手は圧倒的な強さで勝ち上がってきた八日市高。春に負けているチームである。八日市高は中村投手のワンマンチームではあるが、主将としてチームを良くまとめ上げている。なんとか勝つには中村投手を攻略しなければ勝てない。しかしながら井狩監督の好采配も空しく惜敗してしまう。
八日市高が優勝し、京津大会に出場。京都代表は平安ではないが、力強く、粘り強く勝ち抜いてきた西舞鶴高と対戦。見事勝利し甲子園出場を勝ち取る。どうしても京都に勝てなかった滋賀県。夏の選手権大会が始まって以来35年目にしてやっと京都代表に勝ち晴れの京津代表として滋賀県のチームが初出場した年である。長い長い道のりであった。もしわれらが八日市高に勝っていればと思うと残念でならない。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
ブロック予選で敗退
1回戦 対 愛知 6 - 4 ○
2回戦 対 八日市 0 - 3 ●
2回戦 対 長浜西 17 - 5 ○
準決勝 対 5 - 3 ○
決勝 対 1 - 4 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
木村 謹之助
選手
平井 清一 細田 敏彦 井狩 克之
塚本 光男
1952年/昭和27年〈第72回卒〉
第34回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
個々のメンバーは、突出した優れた選手は2~3人存在するかしないかで、メンバー全員が非常にまとまり良く、皆と一緒にまとまって良く練習に励んだチームでした。しかしながら打力は非力であったチームであった。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 比叡山 8 - 1 ○
準決勝 対 愛知 0 - 1 ●
1回戦 対 八日市 17 - 6 ○
準決勝 対 瀬田 3 - 4 ●
2回戦 対 長浜中 3 - 2 ○
準決勝 対 大津東 0 - 5 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
井狩 忠之
マネージャー
澤井 嘉男
選手
西田 重樹 山田 久雄 島村 吾一
西 雅弘 藤井 俊次郎 山本 善夫
小島 修平 河野 侃二 北脇 斗支也
津田 邦夫
1951年/昭和26年〈第71回卒〉
第33回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
新チームスタートと同時に杉本監督を新たに迎え、剛球大辻投手を中心としたチームであった。秋の県大会を優勝し、近畿大会決勝戦では延長16回1 - 1の日没引き分け再試合の死闘を演じた。結果、負けはしたが、この実績が評価され、見事選抜出場を勝ち取り八商野球部が初めて甲子園の土を踏んだチームである。
選抜出場の朗報を耳にしたときは、部員全員がお互い強く抱き合い、新たな闘志と団結を確かめ合ったことは今でも懐かしい。大辻投手は高校卒業後、国鉄スワローズに入団し3年間で8試合の登板成績を収めている。
最後の夏を振り返って
八商野球部初めての甲子園出場を果たしたことは光栄であるが、しかし、選抜出場後、春の県大会を制したものの、優勝後に杉本監督が辞任してしまい、しばらく監督不在が続いた。我々は秋・春と優勝し、選抜にも出場しており、当然優勝候補筆頭ではあったが、そのような状態で夏の大会に臨み、チームが一丸となれずに2回戦で瀬田高に足元をすくわれる結果となってしまった。最後にまとまりに欠ける姿を露呈してしまったが、喜びと栄光を胸に秘めて、自分に厳しく慢心を慎み、全員一丸となって猛練習に励んだ野球部での体験は、将来の人生の貴重な血肉になったことは事実である。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 瀬田 5 - 1 ○
2回戦 対 長浜 1 - 0 ○
準決勝 対 大津 4 - 3 ○
決勝 対 彦根 10 - 1 ○ 優勝
1回戦 対 甲賀 10 - 5 ○
2回戦 対 大津 5 - 1 ○
準決勝 対 長浜 6 - 5 ○
決勝 対 彦根 4 - 1 ○ 優勝
1回戦 対 高島 8 - 7 ○
2回戦 対 瀬田 1 - 4 ●
近畿地区高等学校野球大会
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 長田 2 - 1 ○
準決勝 対 扇町 7 - 1 ○
決勝 対 平安 1 - 1 △
再試合 対 平安 1 - 3 ●
1回戦 対 京都商 0 - 2 ●
メンバー
部長
監督
和田 忠三郎
杉本 清
マネージャー
大町 満弘
選手
西邨 栄二 大辻 秀夫 古川 滉三
高島 元三 倉本 智夫 田原 健
寺本 和弘 川村 多門 中川 信男
山脇 寛
1950年/昭和25年〈第70回卒〉
第32回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
我々の年代は1年生からバッテリーを組んできた経験のある藤本・林を中心に、前年優勝メンバーが7人残る期待のもてるチームでした。秋季大会は結果が出ずに、冬の猛練習を積み重ねた。その成果が表れこの年選抜出場した彦根に春、夏と勝利し、春夏2大会連続優勝、春は近畿大会で準優勝を勝ち取ることが出来た。そして最後夏の選手権では、1回戦から決勝まで危なげなく勝ち進み2連覇を成し遂げることができた。
最後の夏を振り返って
最後夏の選手権大会を2年連続で優勝し、京都代表山城高と甲子園出場を掛けて戦った。戦前の予想では八幡有利の報道が多かったが、吉田義男選手(元阪神タイガース)に好守にわたり活躍され、多くの応援団の期待を裏切る敗戦となってしまった。しかし高校野球3年間は、教育者としても立派な井狩忠之先生の指導の下、3年間共に練習に汗し、多くの友や我々を応援してくださった町の八商ファンの暖かい声援、物心両面で金銭的にも支援を頂き、今もって感謝の念に堪えません。前年、18年ぶりの優勝の時、井狩監督から掛けられた一言が忘れられません。『お前たちは学校に帰り球拾いやグラウンド整備をしてくれた下級生一人ひとりに頭を下げて有難うの感謝の念を表しなさい!』この言葉は教育者としての信念であると今も心に刻まれています。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 彦根 4 - 0 ○
2回戦 対 大津 8 - 11 ○
1回戦 対 八日市 9 - 0 ○
2回戦 対 湖南 13 - 2 ○
準決勝 対 比叡山 17 - 5 ○
決勝 対 彦根 7 - 6 ○ 優勝
1回戦 対 瀬田 14 - 0 ○
2回戦 対 八日市 4 - 0 ○
準決勝 対 彦根 6 - 0 ○
決勝 対 甲賀 8 - 3 ○
近畿地区高等学校野球大会
全国高等学校野球選手権 京滋大会
1回戦 対 高槻 6 - 1 ○
準決勝 対 西京 4 - 1 ○
決勝 対 滝川 0 - 3 ●
1回戦 対 山城 0 - 6 ●
メンバー
部長
監督
川崎 忠
井狩 忠之
マネージャー
木村 謹之助
選手
林 宏 藤本 勇三 福永 義人
高木 彦五郎 西 幸之助 藤井 重蔵
吉川 彰