1969年/昭和44年〈第89回卒〉
第51回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
1学年先輩が少なかったこともあり、我々の年代が先輩方の年代も引っ張っていました。そのため新チームになっても、秋季大会はスムーズに入っていけた。下級生の力を借りながら守備をしっかりと鍛え上げ、お互いを尊重し、前向きに練習に取り組んできたチームです。
最後の夏を振り返って
夏の選手権大会、春に負けている長浜商工に最後の夏も同じ相手に敗れてしまう。ピッチャーの調子が今ひとつで、ベストの状態で最後の夏に臨めなかったことが非常に悔やまれる。不完全燃焼で野球が終わり、もっともっと野球がやりたかったと最後の夏を終え、悔いが残る最後であった。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 石山 1 - 0 ○
2回戦 対 彦根工 5 - 1 ○
準決勝 対 志賀 2 - 3 ●
1回戦 対 堅田 6 - 5 ○
2回戦 対 近江 7 - 0 ○
3回戦 対 長浜商工 1 - 3 ●
1回戦 対 近江 8 - 1 ○
2回戦 対 長浜商工 0 - 3 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
沢村 啓二
マネージャー
藤田 吉昭
選手
小西 敏 三﨑 喜雄 塚本 茂雄
西出 均 荒井 善和 塚本 英雄
永福 佐久夫
1968年/昭和43年〈第88回卒〉
第50回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
1学年上の強いチームであった先輩方とは対照的に我々の年代は例年になく3年生が2名だけという非常に厳しい年代でした。新チームをスタートしましたがメンバーが少ないこともあり、人数不足で秋季大会に参加することができませんでした。2年生の中に3年生がいるようなチームでしたが、野球が出来る、試合が出来る喜びを人一倍感じていた年代でありました。
最後の夏を振り返って
部員が少なく、秋から試合が出来ない状態が続き、毎日毎日、練習練習の日々でした。
春季大会、夏選手権大会は後輩がいてくれたから、公式戦に出場することができましたが、試合経験不足もあり、いずれも初戦で敗退する結果となりました。あっという間の夏でした。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
出場なし
1回戦 対 彦根東 2 - 6 ●
2回戦 対 守山 1 - 7 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
沢村 啓二
選手
橋本 善雄 小西 謙友
1967年/昭和42年〈第87回卒〉
第49回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
我々の年代まで八幡商は過去3回の選抜大会出場。ほぼ5年周期に出場していて、私たちの年に有望な選手が入学してきたため、大変期待され先輩方がよく顔を出していただきました。新チームを結成し、選抜大会を狙うべく、滋賀県大会を2位通過し近畿大会に出場した。初戦奈良県1位、田原本農と対戦。3 - 0で6回までリード。開始から降り続く雨が強くなり6回審判団が試合を止める。勝ったと思っていると当大会規定でこの試合ノーゲームとなる。再試合をするも1 - 4で敗れるという皮肉な結果となり、残念ながら選抜大会出場の夢は散ってしまう。このころから高校野球は雨天5回コールドから7回終了時に変更された模様。
最後の夏を振り返って
当時は選抜出場目標のチーム作りが普通で、夏は京都勢にどうしても勝てず甲子園は非常に遠かった。滋賀県での優勝を目指し、チーム一丸となって「監督を胴上げしよう」を合言葉に厳しい練習にも耐えて頑張って夏を迎える。夏は順当に決勝まで進む。相手は開校4年目の守山。秋、春と倒している相手。しかし11残塁が響き敗退。そして京滋大会では、まさか平安を破り守山が甲子園出場するとは。滋賀県勢2度目の快挙の年であった。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
2回戦 対 彦根工 13 - 1 ○
準決勝対 守山 4 - 0 ○
決勝 対 甲賀 1 - 5 ●
2回戦 対 長浜北 3 - 1 ○
3回戦 対 大津商 5 - 1 ○
準決勝 対 瀬田工 1 - 2 ●
3位決定戦 対 守山 5 - 4 ○
2回戦 対 愛知 5 - 0 ○
3回戦 対 近江 3 - 0 ○
準決勝 対 膳所 2 - 1 ○
決勝 対 守山 1 - 3 ●
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 田原本農 1 - 4 ●
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 市立和歌山商 0 - 2 ●
メンバー
部長
監督
柿元 清
沢村 啓二
マネージャー
迫水 清美
選手
岩佐 正博 松吉 成樹 築山 信悟
小坂 博 今江 利信 深井 博正
岩佐 正博 奥村 昭政 森下 國男
中松 真喜雄
1966年/昭和41年〈第86回卒〉
第48回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
1964年東京オリンピックの年に野球部に入部する。当時20名が入部するも、練習やその他の厳しさに耐えきれず14名が退部していった。最終的に3年生は6名での新チームスタートとなる。しかし下級生に優秀な選手が多く揃い、2年生中心のチーム構成ではあったが、非常にまとまりのあったチームだった。
最後の夏を振り返って
最後の夏は1回戦での初戦敗退に選手皆が非常に落胆、ショックであった。しかし、3年間八幡商での野球を耐え、やり抜いた安堵感があった。3年生全員、今後の人生に生かすことができたと想っている。我々はこの敗戦を糧にと甲子園を狙える新チームへとバトンタッチした。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 甲賀 4 - 0 ○
準決勝 対 彦根東 1 - 4 ●
2回戦 対 近江 7 - 2 ○
3回戦 対 比叡山 1 - 2 ●
1回戦 対 甲賀 1 - 4 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
沢村 啓二
選手
木村 満 加藤 悦郎 山本 忠治
谷口 昇 二ノ宮 悦郎 藤居 武志
1965年/昭和40年〈第85回卒〉
第47回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
我々の年代、八幡商38年野球部新入部員は40名ほど入部しました。前年の選抜大会での作新学院との試合に感動・感激で我らも甲子園出場という想いを持ったたくさんの仲間の入部であった。しかしながら残念なことに、同級生の有望な選手が、夏の過酷な練習と諸先輩方のご指導で退部してしまったことである。最終的には13名とかなりの人数が減ってしまうこととなる。そして、その影響もあり戦績の振るわず、残念な結果となってしまう。下級生にはその点、優しいチームであったことは間違いない。
最後の夏を振り返って
秋季大会は初戦で近江高にあえなく大敗する。春季大会は準決勝で3 - 0から瀬田工に逆転負けを喫してしまい敗退。夏の選手権大会では春に逆転負けを喫している瀬田工。同じ相手に二度も負けられない。リベンジするチャンス到来と、雪辱に燃えチーム一丸となり戦った。しかしながら瀬田工、谷投手のドロップ(今でいう落ちるカーブ)に翻弄され手も足も出ず、完封負け。最後の夏、雪辱とはならなかった。しかし、今では高校野球OBシニア大会で当時の選手と出会うのが楽しみである。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 近江 4 -12 ●
1回戦 対 膳所 3 -2 ○
2回戦 対 大津商 6 - 2 ○
準決勝 対 瀬田工 3 - 6 ●
1回戦 対 瀬田工 0 - 5 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
沢村 啓二
マネージャー
蔵立 伝一朗
選手
土川 敏夫 角田 素久 平木 邦雄
荒川 巧 八川 信也 樋口 明
太田 憲次 森 康一 上林 助男
奥野 文一郎 川部 清 谷口 伊佐夫
1964年/昭和39年〈第84回卒〉
第46回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
入学時、50名ほどの新入部員が野球部に入部。しかし、キャッチボールと声だしと水を飲ませてもらえない1学期間で、夏が終われば半分以上が退部。20名ほどに。そして最終卒業時には15名になっていた。苦しい、苦しい3年間でしたが、半世紀以上経った今でも野球をやっていたことの事は思い出します。
最後の夏を振り返って
1年時、夏の選手権に優勝。京滋大会で平安に敗退。我ら2年の秋季大会準優勝。近畿大会で御所工に勝ち初戦突破。スポーツ新聞には、甲子園出場の掲載がなされた。しかし、2回戦で報徳に大敗。そして滋賀県2位校として出場していたため、選抜大会には選ばれず、涙の選外優秀校として選ばれることになった。3年の春季大会は優勝、近畿大会天理高に勝利、決勝では市西宮に敗れはしたが近畿大会準優勝の成績を収めることが出来た。夏の選手権大会は2回戦で秋の決勝で負けている強敵愛知高に勝ち、順当に決勝まで進み、春の決勝で勝利している比叡山との対決。しかし勝利の女神は微笑まず、高校野球の3年間が終わる。今振り返ると、3年間あとひとつ(1勝)あとひとつ勝っていればの3年間でした。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 近江 4 - 0 ○
準決勝 対 大津商 4 - 1 ○
決勝 対 愛知 0 - 5 ●
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 日野 6 - 0 ○
2回戦 対 大津商 5 - 1 ○
準決勝 対 膳所 4 - 0 ○
決勝 対 比叡山 5 - 0 ○ 優勝
1回戦 対 能登川 17 - 0 ○
2回戦 対 愛知 4 - 3 ○
3回戦 対 大津商 8 - 2 ○
準決勝 対 近江 7 - 0 ○
決勝 対 比叡山 0 - 2 ●
1回戦 対 御所工 5 - 1 ○
2回戦 対 報徳 0 - 7 ●
近畿地区高等学校野球大会
準決勝 対 天理 6 - 4 ○
決勝 対 市西宮 1 - 7 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
北川 憲蔵
マネージャー
北川 吉一
選手
西村 和明 北脇 久次 渡辺 忠雄
坂口 澄夫 近藤 常男 馬場 隆
藤川 一昌 石倉 宗次郎 松浦 正雄
塚本 泰括 村田 芳和 竹原 茂
原 成光 本田 勇
1963年/昭和38年〈第83回卒〉
第45回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
我々のチームは入学時、1年生36名の入部者がいたが、夏休みが終わるころには、なんと10名しか残っていなかった。この年は、最後の最後までチームワークが築けずに、それが大きな敗因となり、公式戦では1勝すら出来ずに高校野球生活を終えてしまうこととなる。
最後の夏を振り返って
選手権大会数日前に事故が起こった。小島監督の頭部に打球が直撃してしまい、緊急入院することとなった。我々選手はこの事態に動揺を隠せない状態ではあったが、高田先輩に代理監督として采配を振るってもらうことになり、最後の夏の大会を迎えた。この年は、45回記念大会で滋賀県大会を優勝すれば甲子園に出場出来る年であったが敢え無く1回戦で涙を呑む結果となってしまう。敗退は残念の一言に尽きる。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 膳所 3 -11 ●
1回戦 対 愛知 3 - 4 ●
1回戦 対 甲賀 1 - 2 ●
メンバー
部長
監督
三露 晋
小嶋 利彦
マネージャー
岡田 寿一
選手
上野 鉄男 寺井 猛 堀 美之
大田 祐治 原 愛雄 岩城 徳和
里内 輝雄 継野 博 田中 五一郎
1962年/昭和37年〈第82回卒〉
第44回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
ずば抜けた選手やひとりのワンマンチームではなく坂田主将の下、練習の厳しさ、下積みに耐えられず諦めた人たちもいたが、乗り越えた14名が3年間一緒に野球をやれたことでチームワークが極めて良かった。秋の近畿大会では準優勝し選抜大会に選ばれた。3年生14名全員が甲子園のベンチ入りを果たし、それだけ全員の団結力は素晴らしかった。選抜大会では初戦を突破しこの年に史上初の春・夏連覇の快挙を成し遂げた作新学園と準々決勝で対戦。互角に戦い延長18回0 - 0引き分け、翌日再試合の末0 - 2 で敗退。しかし、思う存分に甲子園で戦えたことは一生の思い出となっている。
最後の夏を振り返って
選抜大会から帰ってきての春季大会は準決勝であっさりと敗退。もう一度あの場所甲子園に行くぞ!という全員の想いを最後の夏に賭けた。夏の選手権大会では我が八幡商が優勝候補筆頭として大会に臨む。2回戦強敵甲賀高に辛勝し順当に決勝まで駒を進める。決勝は春季大会優勝の大津商であったが危なげなく、2年ぶりに優勝旗を奪還した。京滋大会では平安との対戦となる。下馬評では八幡商有利と戦前予想されていたが、試合が始まり2点を先取したものの、最後は大差での敗戦となってしまう。燃えに燃えた高校野球が終わり悔いのない最後の夏の大会であった。3年間野球で学んだことは、根性や忍耐強さはもちろんのこと基本的な挨拶、言葉使い、礼儀作法であり、のちに社会に出て恥ずかしくない人間として役にたったと思う。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 長浜北 7 - 1 ○
準決勝 対 彦根西 6 - 0 ○
決勝 対 甲賀 2 - 1(11回)○優勝
1回戦 対 瀬田工 6 - 0 ○
2回戦 対 膳所 2 - 1 ○
準決勝 対 長浜北 3 - 5 ●
1回戦 対 伊香 12 - 4 ○
2回戦 対 甲賀 3 -2 ○
準決勝 対 長浜北 5 - 2 ○
決勝 対 大津商 6 - 1 ○
近畿地区高等学校野球大会
1回戦 対 PL学園 5 - 4 ○
準決勝 対 御所工 2 - 1 ○
決勝 対 滝川 0 - 0(12回)△
再試合 対 滝川 0 - 2 ●
全国高等学校野球選手権 京滋大会
決勝 対 平安 2 - 13 ●
メンバー
部長
監督
井狩 忠之
小嶋 利彦
マネージャー
堀出 則男
選手
坂田 敏夫 福永 正志 三谷 征男
藤村 武夫 関目 悟 田中 清次
松本 忠 荒川 賢二 北田 朝輝
松浦 敏雄 辻 幸夫 浅田 忠男
北川 清司
1961年/昭和36年〈第81回卒〉
第43回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
第29回選抜大会ベスト8の活躍で、野球を志しているものからすれば野球をするなら八幡商業で!という世間の気運も高まっていて、県下有名な中学校の選手が多く入部したこともあり、期待が高まっていた。しかし大変残念ながら、2年進級時には1名になってしまったのである。そして、新チーム結成時には、一時期監督不在で野球部の存続の危機でもあった年代である。
最後の夏を振り返って
1年後輩の福永、駒井両投手を擁しての春季大会は3位決定戦を勝利し、近畿大会に出場した。近畿大会では、怪童尾崎率いる浪商にノーヒットノーランという屈辱を喫してしまう。夏の選手権大会は近畿大会出場もあり、ダークホース的な存在として期待されていた。しかし優勝候補で準優勝した長浜北に惜敗する。自身の打席では再三のチャンスが巡ってきたが、ここ1本が出ず悔いの残る結果となってしまった。その悔しい想いが原点となり、今現在審判歴45年を超え高校野球の運営に携わることが出来たのも八商野球部、恩師、諸先輩方のご指導の賜物と心から感謝している。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
地区予選敗退
1回戦 対 彦根東 7 - 0 ○
2回戦 対 甲賀 8 - 7 ○
準決勝 対 長浜商 0 - 1 ●
3位決定戦 対 瀬田工 3- 0 ○
1回戦 対 比叡山 2- 1 ○
2回戦 対 長浜北 0 - 1 ●
メンバー
部長
監督
井狩 忠之
小嶋 利彦
選手
岡田 博文
1960年/昭和35年〈第80回卒〉
第42回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介
学生監督の塩見氏率いる、個性豊かなチームであった。県下屈指の剛腕エース和田と好リードが定評のキャッチャー藤田の名コンビが中心のチーム!守備は強肩のサード森に堅守のセカンド中村、キャプテンショート池澤、守備範囲が広いセンター川内。打撃では強打者4番ファースト中川、リードオフマンのライト北川、一発屋で俊足レフト北島とレギュラーは全員3年生のチーム構成であった。
最後の夏を振り返って
秋、春とも1回戦で敗退も、新装成った皇子山球場で初戦から順調に勝ち上がり決勝まで駒を進めました。決勝戦は日野を辛くも破り2年連続優勝に輝きました。京滋大会では、またもや強豪平安との対戦。去年大敗した悔しさをぶつけていき、平安から先制するも終盤に逆転され、善戦むなしく敗れ去り甲子園の道は残念ながら達成出来ませんでした。しかし、3年間の猛練習に耐え、野球一筋に取り組めたことは今も心の支えとして生きています。指導者・先輩・同級生・後輩と色々な方にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
年間大会戦績
秋季大会
春季大会
選手権地方大会
1回戦 対 伊香 1 - 5 ●
1回戦 対 近江 2 - 5 ●
1回戦 対 彦根西 12 - 0 ○
2回戦 対 膳所 3 -2 ○
準決勝 対 近江 8 - 1 ○
決勝 対 日野 1 - 0 ●
全国高等学校野球選手権 京滋大会
決勝 対 平安 1 - 3 ●
メンバー
部長
監督
井狩 忠之
塩見 弘士
選手
池澤 照夫 和田 健一 藤田 善次
中川 実 中村 昭範 森 宏
北島 孝志 川内 幸男 北川 憲蔵