1919年/大正8年〈第37回卒〉
第5回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
チーム紹介
第5回大会は滋賀県から八幡商、滋賀師範、比叡山と3校が出場する。しかし、今年も京都の厚い壁が立ちはだかり、滋賀県勢は大敗するが、八幡商が辛うじて接戦を演じた試合をすることができた。
年間大会戦績
全国中等学校野球京津大会
2回戦 対 京都一中 2 - 4 ●
メンバー
選手
杉島 貞次郎
1918年/大正7年〈第36回卒〉
第4回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
チーム紹介
第4回大会は2年ぶりの大会参加である。滋賀県からの参加チームは八幡商、滋賀師範、比叡山の3校の出場。この大会は1次リーグで2勝したチームが、決勝トーナメントを争うという形がとられた。本校は残念ながら2試合に惨敗し決勝トーナメントへは出場できていない。滋賀県からは滋賀師範だけが進出している。この年は、米騒動の影響で地区大会は開催されたが、全国大会が中止されている。
年間大会戦績
全国中等学校野球京津大会
1次リーグ
対 滋賀師範 1 - 11 ●
対 京都一中 0 - 9 ●
1917年/大正6年〈第35回卒〉
第3回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
チーム紹介
この年、八幡商業は今までの大会の中で唯一、出場をしていない。何が原因かは定かではないが、過去出場していないのはこの第3回大会だけである。いつしか第1回大会から連続出場を表彰されることがあったが、この大会に参加できておらず、受賞することができなかったのは非常に残念であった。この年、京都勢に始めて滋賀師範が勝利することになる。
1916年/大正5年〈第34回卒〉
第2回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
チーム紹介
第2回大会には滋賀県からは彦根中が1校増え、八幡商業、滋賀師範、比叡山中の4校の出場。京都勢に立ち向かう4校であったが、去年同様、滋賀県勢は惨敗してしまう。八幡商業は2年連続で京都師範に敗れる。
年間大会戦績
全国中等学校野球京津大会
1回戦 対 京都師範 0 - 12 ●
メンバー
選手
児島 末吉
1915年/大正4年〈第33回卒〉
第1回 全国中等学校優勝野球大会 京津大会 出場
チーム紹介
大正4年(1915年)7月1日付の朝日新聞一面に歴史的な社告が出た。「全国中等学校中よりその代表野球団、すなわち各地方を代表せりと野球大会における最優秀校を大阪へ招聘しめんとす」ここに第1回全国中等学校優勝野球大会開催が宣言される
全国10地区に分かれて予選が行われる。各地方大会は、東京・東北・東海・京津・関西・兵庫・山陰・山陽・四国・九州の10地区からなる。滋賀県勢と京都勢が争う京津大会は滋賀県から八幡商、滋賀師範、坂本中(現比叡山高)が参加した。京都勢からは8校の参加。全国での参加数は73校であった。この第1回京津大会を制したのは、京都二中であった。
入学当時は野球のルールを知っているものはほとんどいなく、マスコミも発達していないだけに情報があまりなかった時代である。当時、新聞に載ったベースボール早分かり説明書には、「一口に言えば野球は18人の人々が9人ずつ敵と味方にわかれ、球(ボール)、打棒(バット)などという道具を使って互いに攻め合う遊戯である」と記されている。
年間大会戦績
全国中等学校野球京津大会
1回戦 対 京都師範 11 - 23 ●
メンバー
選手
平井 小三郎 原田 四郎左ェ門
1912年/明治43年〈第30回卒〉
メンバー
選手
田中 彦三郎