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 1999年/平成11年〈第119回卒〉

1999年 (平成11年) 第119回卒
第81回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 我々の学年は、選手10名、マネージャー1名と平成以降では最少の部員数の学年である。新チーム後に台頭した投手・桒原と捕手の森、遊撃手の中川を中心に守り勝つ野球を目指してチーム作りに励んだ。春季大会では準々決勝で彦根東高校と対戦し延長戦の末に惜敗。4大会ぶりのベスト4進出を逃す。3年時には前監督の池川先生が長浜北星高校より異動してこられ、林監督・池川部長体制がスタートした学年でもある。

最後の夏を振り返って

 選手権予選では、初戦の長浜北高校をコールドで下し、2回戦では秋季大会3位の北大津高校との対戦となった。試合は終盤まで同点の厳しいゲームであったが、8回に勝ち越しそのまま逃げ切った。そして3回戦では東大津高校との対戦となった。勝てば秋・春大会優勝の比叡山高校との対戦であったが、東大津高校のアンダーハンド投手に抑えられ、中川のホームランのみの得点に終わり敗退した。

1999年 (平成11年) 第119回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 虎姫 11 - 8 ○

2回戦 対 石部 1 - 4 ●

1回戦 対 河瀬 4 - 3 ○

2回戦 対 高島 2 - 1 ○

3回戦 対 長浜北星 7 - 0 ○

準々決勝 対 彦根東 4 - 5 ●

1回戦 対 長浜北 10 - 3 ○

2回戦 対 北大津 5 - 1 ○

3回戦 対 東大津 1 - 3 ●

メンバー

部長

​監督

池川 準人

林 勝

マネージャー

倉林 千佳

選手

小川 健太  桒原 旬史  木田 乃輔

森 仁志   佐々木 真也  寺田 幹

中川 智晴  今若 俊裕  前川 和範

山名 茂治

 1998年/平成10年〈第118回卒〉

1998年 (平成10年) 第118回卒
第80回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 私どものチームは1年生大会を圧倒的な打力で優勝し、また、前年度の大会でも、岡田、上月、筒井が、下級生ながらチームの準優勝に貢献。たくさんの方から、期待を背負った学年でした。しかし、軸となる投手が現れず、期待には応えられないまま高校野球生活は終わる。高校卒業後は、年に1回必ず集まり高校時代の話で盛り上がる、非常に仲の良い学年です。

最後の夏を振り返って

 選手権予選では、初戦東大津戦、8回までリードを許す苦しい展開も、8回に逆転、9回を無失点に抑え勝利。2回戦、3回戦を順当に勝ち上がる。準々決勝は選抜出場校の近江。先制を許すも、すぐに同点に追いつく。中盤に勝ち越しを許し、後半突き放され敗退。当時の近江高校には、その後プロ野球選手になる木谷投手が在籍。

1998年 (平成10年) 第118回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 北大津4 -3 ○

2回戦 対 水口東9 - 6 ○

3回戦 対 虎姫 9 - 7 ○

準々決勝 対 近江 1 - 8 ●

2回戦 対 伊香4 - 3 ○

3回戦 対 大津商 1 - 11 ●

1回戦 対 東大津 7 - 5 ○

2回戦 対 安曇川 7 - 0 ○

3回戦 対 能登川 11 - 0 ○ 

準々決勝 対 近江 3 - 10 ●

メンバー

部長

​監督

松木 洋之

林 勝

マネージャー

中田 佳那  橋本 恵美

選手

岡田 晃   飛鳥馬 洋明 大野 貴正

上月 健太  西澤 暢泰  福本 豊

上田 和弘  大西 俊之  小寺 善教

伊達 裕也  福永 大   堀井 真二

山田 俊行  米山 智也  池田 武司

太田 博仁  小森 良樹  筒井 康隆

堤 太    富岡 道宣  林 岐成

水谷 浩   安井 俊裕

 1997年/平成9年〈第117回卒〉

1997年 (平成9年) 第117回卒
第79回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 3年生部員は、14名と少ない人数で活動していたが、その分個々の特徴を存分に発揮できるチームであった。投・打・守とそれぞれ軸となる選手を中心とし、練習方法を試行錯誤しながら新しい方法を積極的に取り入れていた。技術・精神面ともに未熟で秋から春までなかなか結果が出ず、悔しい思いをし続けた。その経験から、皆が主役になるのではなく、チームのために犠牲になれるようになり、互いに尊重し合えるまとまりのあるチームに成長した。

最後の夏を振り返って

 大会中、1戦毎にチームが良くなっていくのが実感できた。2年生と3年生がうまく調和し始め、投打もかみ合い、運も味方につけ、決勝まで駒を進める事ができた。なんとかもう1つ勝ち、監督・部長・保護者をはじめ、お世話になった方々に恩返しをしたかったと今でも心残りはあるが、大会中はこれまでの辛かったことがすべて吹き飛び、楽しく幸せを感じながら戦うことができた。

1997年 (平成9年) 第117回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 野洲 13 -6 ○

2回戦 対 長浜農 10 - 0 ○

3回戦 対 栗東 1 - 3 ●

2回戦 対 彦根工 11 - 17 ●

1回戦 対 栗東 10 - 2 ○

2回戦 対 米原 13 - 1 ○

3回戦 対 草津東 4 - 1 ○

準々決勝 対 水口東 8 - 6 ○

準決勝 対 近江 17 - 7 ○

決勝 対 比叡山 1 - 4 ● 

メンバー

部長

​監督

松木 洋之

林 勝

マネージャー

河野 寛子  福阪 絵美

選手

圓花 実   青山 享平  垣谷 正人

岡本 栄仁  池田 英樹  小西 観栄

杉沢 準   濱野 卓也  横江 朋彦

岩佐 智文  川端 聡   須山 洋平

鯰江 和孝  坂東 靖弘

 1996年/平成8年〈第116回卒〉

1996年 (平成8年) 第116回卒_2
第78回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 マネージャーを含めた3年生29名が、「創立百十周年の八商」の名を全国に轟かせたいと願い、日々厳しい練習に励んだ。入学当初、「バッティングに破壊力がある学年は久々だ!」と林監督を唸らせた。1年生大会では準優勝。しかし、投手力に欠け、伸び悩んだ。

 180cm越えの大型選手が多く、看板の強力打線であったが、我が強く、個性派揃いでまとまるのが大変であった。チーム打率2割9分台の打線は、上位、下位の切れ目なく得点能力があった。特に中軸は長打力を秘める打者が並び、守備はセンターラインが安定していた。ただ、チームとして精神面でのもろさがあり、ピンチでの不安定さが課題であった。【夏の選手権大会までの戦績:41勝25敗4分(勝率0.621)】個性派揃いの世代も、今では仲が良いのが自慢です。

最後の夏を振り返って

 八幡商業、近江、比叡山の3強に他校がついてくる群雄割拠の滋賀大会。1年生から主軸を打ち、高校通算28本塁打の安田を中心に打順関係なく長打力がある「打のチーム」であった。投手陣のコマは揃うものの、エース不在が悩み。何人もの投手継投がカギとなった。選手権大会では、1回戦国際情報高校戦、危なげなく勝利。2回戦では春季大会覇者の高島高校と対戦し、先制されるも9回1点差まで迫るが、あと1本が出ず2 - 3で惜敗。第78回大会は、近江高校が滋賀県を制した。

1996年 (平成8年) 第116回卒
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

2回戦 対 米原 9 - 2 ○

3回戦 対 草津東 9 - 11 ●

2回戦 対 長浜農 18 - 0 ○

3回戦 対 守山 2 - 5 ●

1回戦 対 国際情報 5 - 0 ○

2回戦 対 高島 2 - 3 ●

メンバー

部長

​監督

奥野 健次

林 勝

マネージャー

岡田 洋子

選手

福岡 亮一  筒井 惣一郎  織田 義隆 

堤 滋一   山崎 将司   植田 一成

野々村 直幸 加納 眞司  安田 仁志

疋田 和典  小室 優作  桜木 栄和

宮崎 洋彰  山本 尚典  岡田 太樹

岡田 真幸  幸池 博行  石橋 裕史

藤井 一樹  蒲生 寿之  松田 貴司

中村 真治  冨田 渉   西川 裕司

中西 勝則  田岡 善則  山本 毅

福岡 亮一  木村 勇人

 1995年/平成7年〈第115回卒〉

1995年 (平成7年) 第115回卒
第77回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 私たちの学年は、投手を中心とした「守」の野球で、秋・春と近畿大会に出場。秋の県大会決勝では、最終回2死まで4 - 3 とリードしていたが、逆転負けし優勝にあと一歩足らず準優勝。センバツを掛けた近畿大会の初戦を福留(中日・MLB・阪神)や前田(近鉄・楽天・阪神)などが率いるPL学園(大阪1位)と対戦、6 - 2で敗戦し選抜を逃すことになった。

 悔しさをバネに冬の猛練習にぶつけ、その成果を「春の県大会優勝、近畿大会出場ベスト4」という結果に結びつけた。目標としていた甲子園出場こそ叶わなかったが、小林主将を筆頭に選手28人+マネ3人が団結し、また、良い後輩たちにも恵まれて、良い成績が残すことができたし、思い出深い貴重な経験をさせていただけたと思う。

最後の夏を振り返って

選手権予選では、春近畿大会ベスト4ということもあり、優勝候補筆頭として臨んだが、重圧に勝てず県ベスト8で敗退し、夢果たせず。しかし、球児の憧れる大会をそのような立場で出場できたことは、大変幸せな経験であったと思う。

1995年 (平成7年) 第115回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 甲西 6 - 5 ○

2回戦 対 彦根西 7 - 0 ○

3回戦 対 堅田 2 - 0 ○

準々決勝 対 近江 3 - 2 ○

準決勝 対 伊香 7 - 0 ○

決勝 対 比叡山 5 - 9 ○ 優勝

2回戦 対 守山北 21 - 0 ○

3回戦 対 米原 4 - 3 ○

準々決勝 対 大津商 2 - 1 ○

準決勝 対 八幡工 10 - 0 ○

決勝 対 守山 2 - 1 ○ 優勝

1回戦 対 

2回戦 対 堅田 10 - 0 ○

3回戦 対 甲南 10 - 4 ○

準々決勝 対 膳所 3 - 2 ○

準決勝 対 近江 2 - 4 ●

近畿地区高等学校野球大会

1回戦 対 PL学園 2 - 6 ●

近畿地区高等学校野球大会

1回戦 対 高野山 2 - 1 ○

準決勝 対 高田商 2 -3 ●

メンバー

部長

​監督

奥野 健次

林 勝

マネージャー

矢倉 由美子  吉岡 亜弥  鷲見 佳子

選手

小林 亮  門田 弘志  上林 正法

木川 文彦  増倉 大輔  松本 修

弓田 智哉  上月 大介  矢倉 誠

川副 直輝  北村 健二  桐高 資

澤 智宏   澤田 清一  杉澤 享

竹松 諭   谷口 卓   堀井 誠

前田 健   井上 祐一  田口 健司

竹端 寿   外村 章浩  平岡 涼

藤澤 哲   松村 元裕  三原 成規

安田 文憲

 1994年/平成6年〈第114回卒〉

1994年 (平成6年) 第114回卒
第76回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 『投手を中心とした守備』からリズムをつくり、秋季滋賀県大会では〝優勝〟を果たし、日生球場で行われた近畿大会に出場する。奈良県高田商業を相手に前半に3点をリードしてむかえた6回、惜しくも逆転を許し惜敗。春の選抜2年連続出場を逃がした。

最後の夏を振り返って

 近江、石山、比叡山、栗東、長浜がチーム力の高かったこの年の夏。持ち味である守備からの攻撃を武器に夏の選手権予選に挑むが、リズムに乗りきれず準々決勝で比叡山高校に敗退し最後の夏が終わった。高校3年間の野球生活は、今となれば一瞬の出来事であったかの様ですが、こうして思い返し噛みしめてみると、改めて八幡商業野球部に大きな感謝の気持ちが溢れます。今後の活躍を心より願っています。

1994年 (平成6年) 第114回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

準々決勝 対 近江 8 - 1 ○

準決勝 対 守山 4 - 1 ○

決勝 対 石山 3 - 2 ○ 優勝

1回戦 対 草津東 7 - 0 ○

2回戦 対 長浜北 9 - 0 ○

3回戦 対 八幡工 3 - 4 ●

2回戦 対 高島 1 - 0 ○

3回戦 対 光泉 8 - 0 ○

準々決勝 対 比叡山 0 - 7 ●

近畿地区高等学校野球大会

1回戦 対 高田商 3 - 4 ●

メンバー

部長

​監督

奥野 健次

林 勝

マネージャー

高橋 真紀子

選手

川西 彰   占部 輝久  植西 大佐

森 雅志   野々村 武  小澤 清典

西川 勉   近藤 竜也  北川 峰生

大西 智也  鈴木 正人  菊本 慎二

東谷 高志  清水 弘順  米山 竜之

山本 崇   玉井 高浩  池田 忠弘

上林 章宏  近藤 司   村瀬 友和

久保 英明  幸 秀樹   高畑 進一

 1993年/平成5年〈第113回卒〉

1993年 (平成5年) 第113回卒
第75回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 私たちのチームは、男子25名、マネージャー4名は、八幡商4連覇中という常勝時代に入学し、先輩方の体格・技術の高さを目のあたりにし、自分たちにもやっていけるのかどうか不安でした。それでも毎日朝早くから夜遅くまで練習し、一日500スイング以上をノルマとし、毎日厳しい練習を行っていました。その結果新チームとなった秋季大会では優勝、近畿大会ではベスト4という成績を収めることができ、選抜大会に出場することができました。選抜大会では、先輩方が死闘を演じられた作新学院戦以来の県勢31年ぶりに初戦を突破し、2勝を挙げベスト8という結果が残せました。

最後の夏を振り返って

 私たちのチームは、男子25名、マネージャー4名は、八幡商4連覇中という常勝時代に入学し、先輩方の体格・技術の高さを目のあたりにし、自分たちにもやっていけるのかどうか不安でした。それでも毎日朝早くから夜遅くまで練習し、一日500スイング以上をノルマとし、毎日厳しい練習を行っていました。その結果新チームとなった秋季大会では優勝、近畿大会ではベスト4という成績を収めることができ、選抜大会に出場することができました。選抜大会では、先輩方が死闘を演じられた作新学院戦以来の県勢31年ぶりに初戦を突破し、2勝を挙げベスト8という結果が残せました。

年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 虎姫 10 - 2 ○

2回戦 対 大津 4 - 1 ○

3回戦 対 安曇川 6 - 1 ○

準々決勝 対 石山 2 - 1 ○

準決勝 対 長浜 7 - 0 ○

決勝 対 近江 5 - 2 ○ 優勝

1回戦 対 彦根東 4 - 3 ○

2回戦 対 石山 4 - 1 ○

3回戦 対 守山 4 - 3 ○

準々決勝 対 八幡 7 - 2 ○

準決勝 対 近江 5 - 2 ○

決勝 対 甲西 6 - 0 ○ 優勝

2回戦 対 近江兄弟社 2 - 3 ●

近畿地区高等学校野球大会

近畿地区高等学校野球大会

1回戦 対 明石 5 - 4 ○

2回戦 対 市尼崎 9 - 0 ○

準決勝 対 東山 1 - 8 ●

4年ぶり 5回目 選抜出場

1回戦 対 大商学園 0 - 4 ●

選抜高等学校野球大会

2回戦 対 氷見 6 - 3 ○

3回戦 対  佐野日大 4 - 2 ◯

準決勝 対  駒大岩見沢 4 - 12 ●

メンバー

部長

​監督

奥野 健次

林 勝

マネージャー

松宮 智美  辻 直子  谷口 真理  星 景子

選手

森 栄太郎  村岸 俊幸  寺田 幸司

橋本 康一  池田 努  三上 賢

北村 龍也  野田 純一  河原崎 雅則

戸田 和成  馬場 利憲  東郷 康孝

小西 啓治  荒川 亮  橋内 利行

大橋 正人  田中 幹雄  古川 雄一

桐高 丈二  岡本 吉史  宮川 博文

廣田 友和  西田 孝哲  北浦 智之

小南 勇二

 1992年/平成4年〈第112回卒〉

1992年 (平成4年) 第112回卒
第74回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 出場
チーム紹介

 主将の小林を中心に、個々の実力は高くありませんでしたが、全体的に平均的なチームであり、林監督就任後の学年の中では一番チームワークが良く入学から3年間一人も退部者を出さずに最後まで一緒に野球を続けられた事が自慢の学年です。

最後の夏を振り返って

 選手権予選では、諸先輩方の後に続き5年連続甲子園出場を目指し、3回戦、準々決勝と辛勝し、準決勝まで駒を進めましたが、善戦虚しく0-2で、近江高校に破れ、残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、翌年後輩たちの春の選抜甲子園出場につながるベスト4と健闘いたしました。

1992年 (平成4年) 第112回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 彦根西 10 - 0 ○

2回戦 対 瀬田工 0 - 6 ○ 

1回戦 対 米原 9 - 0 ○

2回戦 対 長浜 8 - 5 ○

3回戦 対 大津 2 - 1 ○

準々決勝 対 堅田 12 - 1 ○

準決勝 対 野洲 1 - 3 ●

3位決定戦 対 2 - 0 ○

1回戦 対 愛知 8 - 0 ○

2回戦 対 八幡 10 - 0 ○

3回戦 対 大津 3 - 1 ○

準々決勝 対 長浜 4 - 3 ○

準決勝 対 近江0 - 2 ●

メンバー

部長

​監督

奥野 健次

林 勝

マネージャー

青木 美枝

選手

小林 和宏  平野 博文  鳥崎 淳一

柴田 昌人  米倉 靖人  西澤 栄二

園田 賢史  上田 仁志  河端 彰史

後藤 晃一  上野 匡昭  津田 純一

松吉 弘樹  浦谷 慎吾  木田 寛弥

古川 哲也  藤田 隆司  大橋 正弥

国分 智樹

 1991年/平成3年〈第111回卒〉

1991年 (平成3年) 第111回卒
第73回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 優勝
全国高等学校野球選手権大会 出場
チーム紹介

 この年代は中学3年時、夏の甲子園初出場した時に甲子園出場を夢見て八幡商の野球部の門を叩いた選手ばかりでした。入学当初は30名以上が入部。最終的には24名とマネージャー3名で新チームを迎える。このチームは、個性が非常に強く、負けず嫌いの多いメンバーであった。

 新チームとしては、レギュラーが4人残りスムーズに切り替えができた。しかし甘えがあったのか過信していたのか、秋季大会準々決勝で栗東高にまさかの敗退。この敗戦以降、チームが変わる。各自が厳しい練習をこなし、自主連も率先して行うようになり、チームとして少しずつまとまり感が出来てくるようになる。そしてその後、県内では練習試合・公式戦と負け無し。この年代の滞在能力が練習の成果として発揮されるようになる。それも負け、悔しさを知ったから、また先輩方の背中を見てきたから想う、感じることもたくさんあった。

最後の夏を振り返って

 春季大会を優勝して最後の夏に臨む。4年連続夏の甲子園出場というプレッシャーを感じながら戦った夏、投手藤原・羽田、捕手田中を中心とする守備が光り、延長戦などを制して決勝に進んだ。1 - 0で逃げ切り甲子園出場を勝ち取った瞬間、プレッシャーから解き放たれチーム全員で思いっきり喜んだ。個性派揃いのメンバーで、このメンバーだから勝てた、このメンバーでなかったら勝てなかったと、最終最後に感じた我々であった。本当にありがとう!

年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 石山5 - 3 ○

2回戦 対 草津東 6 - 4 ○

3回戦 対 瀬田工 10 - 0 ○

準々決勝 対 栗東 7 - 8 ●

2回戦 対 日野 10 - 0 ○

3回戦 対 米原 8 - 2 ○

準々決勝 対 高島 7 - 2 ○

準決勝 対 石山 9 - 0 ○

決勝 対 近江 6 - 1 ○ 優勝

2回戦 対 水口 8 - 1 ○

3回戦 対 近江兄弟社 1 - 0 ○

準々決勝 対 彦根東 5 - 1 ○

準決勝 対 近江 5 - 3 ○

決勝 対 石山 1 - 0 ○

4年連続 4回目 甲子園出場

近畿地区高等学校野球大会

1回戦 対 神戸弘陵 2 - 5 ●

全国高等学校野球選手権大会

1回戦 対 富山商 3 - 2 ○

2回戦 対 松商学園 3 - 8 ●

メンバー

部長

​監督

石田 耕一

林 勝

マネージャー

関 淑恵  長岡 麻理  筧 三千代

選手

松永 忍   藤原 恵大  羽田 豊

田中 孝昌  芝田 克也  西村 剛

木村 尚大  本間 一成  坂井 弘和

田代 正仁  大橋 一哉  山田 浩司

辻 修    川戸 晶弘  村上 学

馬場 洋二  平尾 聡   高辻 篤史

寺岡 順   青谷 賢太郎 井上 大輔

久田 正敬  西澤 祐治  川口 尋久

奥村 伊佐男

 1990年/平成2年〈第110回卒〉

1990年 (平成2年) 第110回卒
第72回 全国高等学校野球選手権 滋賀大会 優勝
全国高等学校野球選手権大会 出場
チーム紹介

 現在の室内練習場、BOX、内野の黒土は私たちの時代に築き上げられたものである。特に室内練習場で黒土を作り、グランドを整備したことは深く思い出に残っている。我々の年代13名は誰一人かけることがなく、3年間厳しい練習にも耐え、全員一丸となり野球に打ち込んできました。

 夏の甲子園4年連続出場した中で一番最弱のチームでしたが、最後の夏の選手権大会では3年生全員がベンチ入りし、悔いのない高校野球を終えられた。その結果、夏の大会では1番良い成績を残せたと感じている。

最後の夏を振り返って

 春の大会は3回戦敗退、ノーシードで夏の大会に臨む。初戦大津高戦から苦しい戦い。投手は七里、池川と下級生の藤原、羽田のやりくりの継投。打線は2年生クリーンアップの活躍が頼りで勝ち上がり決勝戦へ。0 - 3と先行されたが、中盤に相手ミスにつけ込んで逆転。

 最終回も追い上げられ、伝説である竹島の「大チョンボ」もあったが、1点差で辛くも逃げ切り、最弱といわれたチームが夏の甲子園出場を勝ち取った。

1990年 (平成2年) 第110回卒_2
年間大会戦績

秋季大会

春季大会

選手権地方大会

1回戦 対 野洲 2 - 4 ●

1回戦 対 日野 1 - 0 ○

2回戦 対 北大津 10 - 0

3回戦 対 比叡山 2 - 6 ●

2回戦 対 大津 10 - 4 ○ 

3回戦 対  近江 5 - 3 ○

準々決勝 対 玉川 3 - 2 ○

準決勝 対 比叡山 6 - 2 ○

決勝 対 彦根東 6 - 5 ○ 優勝

3年連続3回目 甲子園出場

全国高等学校野球選手権大会

2回戦 対 高田工 6 - 5 ◯

3回戦 対 沖縄水産 5 - 2 ◯

メンバー

部長

​監督

岡崎 憲文

林 勝

選手

池川 準人  七里 壽紀  森 利和

上田 文人  竹島 慎泰  堤 佳成

廣田 真也  宮崎 淳  吉見 博史

田中 剛彦  寺井 哲憲  野村 通弘

吉本 一志

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